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体育会は35歳で壁に当たるという説は体育会だけに限る問題ではない

 

 こんにちは。漸く梅雨入りのような、うだつのあがらない季節がやってきましたね。暑い季節は苦手ですが、早く梅雨シーズンは抜けてほしいと思います。今回のエントリーはこの記事に触発されて書いています。

president.jp

 

 

 個人的にマツコデラックスは好きですが、その事は置いておきましょう。マツコによると、

「30代までなら体育会系は仕事は勢いでできる。でも40代になってくると、人間の本質が問われ始める」。その結果、「行き場を無くす」と。「電通とかにそういうやついっぱいいる」

理由として(ここはマツコではなくプレシデントによる分析のようです)

まず、企業がなぜ体育会系出身者を採用したがるのか。

日本の新卒採用ではスキルや専門性ではなく“素材”を重視する。文系の学生は大学でどんな勉強をしてきたかは問われない。その点、あまり勉強してこなかった体育会学生には何のハンディも存在しない。その上で体育会学生の素材の魅力は2つある。

1つは肉体的かつ精神的タフさ、打たれ強さ、忍耐力などである。

上下関係をわきまえ、たとえ本心では嫌だと思う命令でも従う忍耐力を持っている。確かにこういう人材は会社にとって使いやすいだろう。

もうひとつの魅力は、勝ち抜く力、自分を高めようとする力である。

しかし、体育会の持つこの2つの魅力、価値を兼ね備えている人ばかりではない。

どちらかと言えば肉体的タフさを買って採用する企業も少なくない。その結果、35歳ぐらいで失速する人が珍しくない。

体力、気力で突っ走っても日々変化するビジネスについていけず、また、複雑な人間関係に躓き、職業人としての成長が止まってしまうのである。

しかも今はビジネス環境が複雑化、多様化している。作れば売れるという規格大量生産時代では、それこそ行け行けドンドン営業でうまくいった。ところが少品種少量生産、IT化の促進、産業のソフト化でビジネスモデルが変容し、より高度の専門性が求められている。体力、気力勝負では40歳になってからどころか35歳でその限界を露呈してしまうことになる*1

 

この記事を読んでいて感じるのは、この説、つまり『自分のアタマを使って物事を考える』というプロセスを欠いた結果、引き起こされるものであるということです。

受験エリートの落とし穴

 個人の資質に光を当てると、受験エリートにも当てはまるでしょう。現代の日本社会は詰め込み教育によって優越を競っています。*2限られている時間の中で志望の高校や大学に合格する素地を形成する必要があります。そのため、教師は受験で点数をとることが簡単にできる方法を教授し、生徒は様々な選択肢の中から負担が軽く、かつ点数を取ることができる方法を選択します。*3

 このようなシステムの中では、問いを発見する形の学習が困難になっていきます。*4問いを発見することができないということは、自身のアタマを使って考えないといけない場面で壁にあたるでしょう。これを中々乗り越えることが出来なくなっているのが日本におけるエリートの落とし穴でしょう。

リーダーシップの誤謬

 このような彼らを待っているのが就職活動です。もちろん大学機関にそのまま残る人もいれば、起業をする人もいるでしょう。しかし彼らは大多数の人々と異なるタイプであるため、今回のエントリーからは除外します。

 さて、日本の企業は日本市場のみで戦うことが困難であるという認識を持っているようです。日本の私情は縮小傾向にあるだとか、購買力が低くなるだとかが理由のようですが、詳しくはわかりません。ともかくとして、閉塞した状況を打開するために、”リーダーシップ”を持った学生を採用することに躍起になっているのが今の日本企業でしょう。しかし、これは本当にお笑い草であると思います。第一に、選考する企業がリーダーシップを誤解していることが挙げられます。彼らの言説によると➀何かまとめていた➁率先していたとのことです。

 しかしリーダーシップの本質とは、自身が見つけた問いに対して周囲の人を巻き込むことです。決して後者だけでは成り立たないのがこの性質です。第二に、リーダーシップが対策可能になっていることが挙げられます。現在の就活制度は➀エントリーシートを提出➁WEBテスト➂個人面接➃グループディスカッションの三つで構成されています。このプロセスの中でどのようにリーダーシップを判断するのでしょうか。リーダーシップは短期間のものではなく、長期間にわたるものです。それをたったの1時間の面接で判断することは論理的におかしい。フィーリングで採用をするのならば、それこそリーダーシップのような曖昧な概念は取り払うべきでしょう。

 話を戻しますが、この四つの制度によるのであれば、対策が十分に可能だと思います。エントリーシートはわかりやすい形にすればいいだけですし、何なら、内定者に添削を頼むことだって可能です。WEBテストだって巷に対策本が出回っています。WEBテスト代行をする人も多くいるようではないですか。個人面接やグループディスカッションも時間が決まっていたり、聞かれうる内容が事前に推測できるため、容易に対策できます。このような状況であれば、結局就活も受験も試験科目が数学からESへ、英語から個人面接へ変わっただけのような気がしませんか?

リクルートの改革

 この就活制度に対して、能力採用を提示したリクルートは面白いです。もちろんこの制度も面白いのですが、就活制度の枠組みを作ったリクルートがそれを破壊しうる制度を提示したことこそが、二重の意味で面白いです。*5

 残念ですが、結局このような制度改革も対策されうるものへと変化していくでしょう。制度は導入されたときこそ、情報の非対称性の観点から効力を持っていますが、情報が伝達されると対策が可能になってしまい、その制度の本質は消失してしまうのです。

AO入試を例に

 制度の意味の消失について、AO入試を題材について検討してみましょう。AO入試とは、アドミッションオフィス入試のことを指し、出願者自身を見る入試体系を指します。慶應義塾大学東北大学が導入したことでも有名ですよね。東京大学も導入を検討しているようです。この制度ですが、導入当初は対策不可能なものでした。当たり前ですよね。どういう風な試験かもわからないのですから。しかし、年が経るにつれ、ブラックボックス度合いは減少していき、どのような試験か分かるようになりました。そんな中登場したのがAO義塾です。*6

 この塾の凄い点は合格者156名かつ合格率83%であることでしょう。所謂ペーパーテストにおいてここまで合格率や合格者をたたき出すことは困難です。何故ここまで合格者が出るのかは、AO入試が対策可能な入試形態であり、かつこのAO義塾が独占しているという状況があるということでしょうか。これから、もっとAO入試の対策塾はでてくるでしょうし、そうなるとこのAO義塾の合格者数や合格率も下がってしまうかもしれませんね。

 この問題は、センター試験廃止したのちに導入される到達度テストでも同じような現象がおきるでしょう。導入当初の混迷期さえ乗り切れば、日本人の心性が変わらない限り、同じ問題が起き続けるでしょう。

 

*1:

http://president.jp/articles/-/15580?page=2

*2:この問題の所在を考えると官僚的思考が入り込んでいることが分かるでしょう。律令国家ならではの特質でしょう。

*3:もちろん生徒の中でも先生の中でも自由意思が存在しないで機械的に行動をしている人もいるでしょう。人間は本質的に保守的であり、ルーチンワークを好む生き物です。

*4:

これに対するアンチテーゼとして、ゆとり教育が2000年代から始まりました。つめこみ学習の時間を下げ、その空いた時間で考えるというものです。しかし、周知の通りこれは失敗に終わりました。理由は多々ありますが、➀経験的な教育を行うことができる教師が存在しなかった。➁そのため、空いた時間を与えられていても問いを発見する学習を行うことができなかった。➂そもそもつめこみ型教育をベースにしていた 等の批判があると思います。ゆとり教育 - Wikipedia

*5:

RECRUIT革命|リクルートホールディングス 2016年度新卒Web採用サイト

*6:

AO義塾|AO入試推薦入試を通して志を育む専門塾