安保法案って正直どうでもよくない?

こんばんは。

 安保法案可決されましたね。これできっとテレビで安保法案の放送は日に日に減っていくことになるでしょう。ほとんどのテレビは視聴率を追いかけるのに必死であり、鮮度の落ちたニュースなんて必要としませんからね。その一方で、視聴者のみなさんも一過的な流行り風邪のようなものにかかったといつかこの日を思い出すかもしれません。安保法案安保法案と毎日、意味の分からない念仏のように唱えていましたからね。

 このエントリーは、上記のようなてきとーに時事ニュースを流している人向けのものではありません。かといって安保法制賛成派のように、中国がせめてきたらヤバイみたいなことやバードンシェアリング!みんな仲良く守りましょうなんて言わないし、反対派のような、徴兵制やっべ、戦争反対なんて誇張をした記事を書くつもりも毛頭もありません。漠然とした、日本に漂う、ポピュリズム的ですらある様相に対していろいろか考えを巡らせたいと思い、筆を取った次第です。

―――目次―――

1 右翼と左翼の二分法の誤謬

2 Sealdsとは一体なんだったのか

3 多数決の論理の危険性

4 ポピュリズム的退廃

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1 右翼と左翼の二分法の誤謬 

 安保法案。具体的には、

  • 集団的自衛権を認める
  • 自衛隊の活動範囲や、使用できる武器を拡大する
  • 有事の際に自衛隊を派遣するまでの国会議論の時間を短縮する
  • 在外邦人救出や米艦防護を可能になる
  • 武器使用基準を緩和
  • 上官に反抗した場合の処罰規定を追加

上記のようなことを決めています。ここで問題となるのは「集団的自衛権を認める」でしょうか。その点に対して、集団的自衛権を認めるのは「アメリカばかり片務的に文二責任を負うのはずるい」という論理*1であったり、「中国が侵略してきているからヤバイ」であったりというもの。逆に認めない論理としては、「戦争法案だ」「徴兵制になるぞ」と戦争が起きることを前提とした論理、「集団的自衛権憲法9条に違反している」という手続き上の論理破綻の指摘があげられます。

 現実的な側面で見た際には、集団的自衛権を認める論理が優越する可能性が存在し、正当性の観点でものを見たときには集団的自衛権を認めない論理が優越するでしょう。すなわち、ここでいう二者は同じ土俵で戦っていないのです。野球対サッカーのような試合をしているのです。

 なのにさも相手は自分と同じスポーツを行っているとみなすことが問題の根を深くしています。集団的自衛権を認める立場では、「否定する立場は憲法を違反していることをしているじゃないか。自衛隊だって憲法違反だろう!」と、”赤信号みんなで渡ればこわくない”のような論理で攻撃しますし、集団的自衛権を否定する立場の人は「集団的自衛権を認めれば戦争が起きちゃう!ヤバイ!徴兵制になっちゃう!」と”風吹けば桶屋が儲かる”のような論理で攻撃します。結局相手の立場をわかっていないように思えます。ある種の仮想敵を設けることでマウンティングしているような気になっているんですよね。プロ野球チームが万年県予選一回戦負けのような試合を想定している。それじゃいつまでたっても建設的な議論を行うことはできないです。だって相手に向き合ってないんですから。

 ここで”左翼と右翼の二分法の誤謬”について触れたいと思います。右翼であれ左翼であれ、ただのレッテル張りにすぎません。自分と反対の意見をもつ人を右翼や左翼とののしり、そして仮想敵となった右翼ないし左翼を叩く。そんな個人的な欲求に基づいた一方的な口撃がテレビでもネットでも道端でも国会でもされています。それっておかしくないですかね。

 また右か左かというよりもリアリズムとイデアリズムの対立のような気もします。この二つが右翼とか左翼とかのイデオロギーと親和性が強いのも理解できますが。

 

2 Sealdsとは一体なんだったんだろうか?

 上記のようなイデオロギー闘争を、遂行する手段として、集団的自衛権を守る立場から若者デモのSealdsが出現しました。「戦争反対!」と分かりやすい主張をデモの形で伝えるグループですね。若者で構成されているため、国内海外問わずメディアに乗せられていた印象も受けます。彼らについて思うところをつらつらと。

①道具として使われすぎている

 若者であるがゆえ、集団的自衛権反対派の立場の人にいいように使われているように思えました。彼らの意見はわかりやすく目立ちますからね。責任も彼らになすりつけることができるので、野党や知識人でさえも彼らを利用しています。それだけではありません。集団的自衛権賛成派の人々も、彼らの簡潔で分かりやすい意見をさらに捻じ曲げ、仮想敵としておき、攻撃するという意味で利用しました。ただただ彼らの政治に対する意識や熱意、行動力は大人の暴力によってひたすら捻じ曲げられていたのです。

②シールズ批判について

 シールズ批判には様々な方法がとられていましたが、中身などではなく、「若いんだからデモじゃなくて他のことすれば?政治したいなら立候補しろよ」という批判はさすがにセンスないんじゃないでしょうか。第一に、この行動を彼らの趣味であるとするならば、批判する必要はありません。迷惑をかけない限りでは。第二に、政治的意志のもとに行動しているのであれば、ある種の成功を収めてることでしょう。世間を騒がせることで、メディアに安保法案問題を取り上げてもらい、日常生活で議論されるようになったのですから。

③デモに参加したら就活に不利?

 正直なところ企業によって判断はまちまちでしょう。普通人事は最終面接前になるとその人の名前をネットで調べるようなことはします。デモに参加することでプラスになるかマイナスになるかは、その人事の政治的立場や人間性に依拠するでしょう。ただ一つ言えることがあるとするならば、デモ参加者は”デモに参加したことで認めないような会社”に入社したいと思うのでしょうか。もしそれでも入社したいならば、今すぐデモなんて辞めて、テニサーにでも入ってお酒をたらふく飲んでバイトで後輩と付き合ったりしてカレッジライフを満喫すればいいわけですね。それくらいの覚悟は彼らにあるんじゃないでしょうか。もしそうではない、いわば、ファッションでデモをやっているのであればやめた方が賢明でしょう。

 

3 多数決の論理の危険性

  多数決。すごく聞こえがいい言葉ですよね。おそらく一度は聞いたことはあるんじゃないでしょうか。小学校の生徒会長を決めるときであったり、中高の文化祭の出し物を決めるときであったり。こういう時に多数決をとることが多いでしょう。多数派は正義である―このような考えの下に、その結果というものは正当化されます。今回の安保法案でよく聞く話として、「多数決の論理で選ばれた政党がやっていることだから、正しいじゃないか」があげられます。しかし、この論理には怪しい、ある種暴力的な論理が潜んでいます。

➀多数決=民主主義ではない。

面を食らう人もいるかもしるかもしれません。多数決の論理は民主主義的に映りますから。しかし、論理関係としては民主主義の中の一つの方法論として多数決が存在し、その多数決は公共選択論のアプローチの中で、あらゆる決定方法の中で最悪の部類に属するということを念頭に置かなければなりません。具体的に記述するとなると煩雑になるので避けますが、少数者の意見を排除してしまう傾向にあったり、本当の意味で信奉されている政党が第一党になりえないような問題点を抱えています。そのため、ボルダルール*2のようなルールの方がよいという意見もあります。

➁情報の非対称性

選挙の際に、重要になってくることは”正しい情報を投票者は得ることができ、また理解できるかどうか”です。その前提が崩れ去ってしまうと、選挙の時の正当性は揺らいでしまい、代議制民主主義の、民意と政治をつなぐ結節点が揺らいでしまいます。しかしながら、現在では、政党はマニュフェストを二転三転したりすることで正確な情報を国民の手に渡らせることをしません。その上、日本の政府信頼度数*3は世界最下位クラスの20%代です。政府は国民をだまそうとし、国民は政府を信用していないような中で行われる選挙に正当性を求めようとするのは困難ではないでしょうか。

 

ポピュリズム的退廃

  このような不信社会の様相を呈する日本では、選挙では票取りゲームへと様変わりしていきます。ある種のポピュリズム*4に陥ってしまっているようにすら感じます。すなわち、大衆ウケする短絡的なポリシーやそのメディアの煽り方をしていくわけですね。正直な話、総理大臣がカップラーメンの値段がわからないだとか、変なシャツを着ているだとかは政策運営に関係がありません。であるのに、さもそれだけがファクターであるように偏向報道を行い、世論を形成していく。芸能人が政治の領域にはいてくるのも同様な現象でしょう。国民は信じることのできない人よりも、テレビで慣れ親しんだと錯覚している人に票を投じるわけですから。

 安保法案についてはどうでしょうか。賛成派はわかりやすいくらいSealdsを叩いています。そのわかりやすさでこそ、国民は賛成に揺れるということを知っているからですね。反対派はどうでしょう。「戦争反対!」というのも非常にわかりやすいメッセージです。このように、”わかりやすさ”を追求した結果、反知性主義的かつ短絡的な政治闘争へと様変わりしていったことを浮き彫りにしたのが2015年度安保闘争だったのではないでしょうか。

 

 

 私たちは一つの時代の転換点にいるのかもしれません。それは安保法案が可決したか否かということ以上に、国民がバカになったかそうでないかという問題に帰着するようにすら感じます。この状況を良いものにするためには、一人一人が自分の頭で物事を考えて、何が正しいかを自分の中で決めていくということが重要な風にすら思います。長々と失礼しました。ここまで読んで頂きありがとうございます。

 

 

 

*1:そのため、安保法案はアメリカでは歓迎されている。欧州では歓迎されていなかったりする。日本国内でのみのイシューではなく、国際関係のイシューでもある。

*2:ボルダ得点は投票者が選好順序に従って候補にランク付けをする一人勝者選挙方式である。ボルダ式得点法では、各々の候補に、有権者が付けたランキングの順位に対応した特定の点数を与えることによって選挙の勝者が決定される。いったんすべての票が集計され、もっとも得点の高い候補が勝者である。ときに、多数派に好まれる候補よりむしろ、幅広い人が受け入れ可能な候補を選ぶことがあるので、ボルダ式は、多数決主義の選挙制度ではなく、世論の一致を重視した選挙制度だとしばしば言われる。
ボルダ方式は、独自に何度か開発されたことがあったが、1770年にこの制度を考案したジャン=シャルル・ド・ボルダによって命名された。現在、スロベニア下院の二名の少数民族議員の選出に使われており、修正型が、キリバス大統領選挙候補とナウル議会の議員の選出に使用されている。また、様々な民間の組織やコンペによって、世界中の至る所で採用されている。

*3:

図録▽世界各国における組織・制度への信頼度

*4:ポピュリズム(英: populism)とは、一般大衆の利益や権利、願望を考慮して、大衆の支持のもとに既存のエリート主義である体制側や知識人などと対決しようとする政治思想または政治姿勢のことである