読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「SEALDsをdisる俺をdisるツイートの呆れるばかりの低脳ぶりについて」もただのdisじゃない?

weblog.horiemon.com

 

このブログを見て、ああちゃんとネットの反響を見ている生身の人間なんだなあと思うと同時に、同じ土俵に乗る必要はあまりない気がすると感じます。そして堀江さんのように頭が切れる人が彼らを晒し挙げる行為には違和感を感じます。本稿はその違和感の所在を探っていきます。

―――目次―――

1 違和感の所在の究明(レッテル張りとミスリードに焦点を当てて)

2 彼の意図とは

――――――――

1 違和感の所在の究明(レッテル張りとミスリードに焦点を当てて)

 今回の彼の記事は、三つのブロックに分かれて書かれている。

完全にこれは私の事をマスコミがミスリードして作り上げたイメージであることは私の著書「ゼロ」や、過去のブログを見れば明らかだろう。お金は単なるツールであり、私は自分が理想とする生き方を実践してるに過ぎない。理想の社会を作りたいだけなのだ。なのにロクに調べもせず、「拝金主義」などというレッテルをはる。これは太平洋戦争中に「非国民」なるレッテルをはってある特定の人をロクに調べもせず集団で虐めていた事実に符合する。

安保反対派の多くにこのような人達が多いということ。つまり事実誤認に基づくセンセーショナルな言説に飛びつき間違った行動をしてしまうのである。わたしは散々そういうことをやられてきたので切実にそう思う。

今朝も、安保反対派の某教授が防衛産業に関わる三菱重工業グループを糾弾するために三菱鉛筆を買うな的な発言をしてると聞いて驚いた。三菱鉛筆が重工とまったく別のグループということすら知らないミスリードがまかり通る世の中なのだ。わたしは少しでもロジックがエモーショナルな言説に負けないように努力したいと思う。

 この言説を分解していくと、マスコミが今まで堀江さんに対して「レッテル張り」を行い、太平洋戦争中でも「レッテル張り」が横行していた。安保反対派の多くは「レッテル張り」をおこなう。安保反対派の教授が三菱鉛筆を三菱の会社だと勘違いしていた。理想の社会を追求したいだけだ。ロジックがエモーショナルな言説に負けないようにしたい。となります。

 ロジックがエモーショナルな言説に負けないようにしたいという部分に関しては、部分的には共感できるところもあります。ロジックとエモーションのどちらが勝るのかはわかりませんし、人間がロジックのみで動くというわけでもありませんから。また、理想の社会の追求も素晴らしいことだと思います。堀江さんの著作を拝見したことはないので、どんな理想社会かわかりませんが。

 しかし、この言説の中で危うい部分、もっと厳しく言うと、矛盾に満ち溢れた部分が存在します。

a レッテル張りについて

 レッテル張りとは何気に使う言葉ですが、実際はどういう意味なんでしょうか。厳密な定義は存在しないため、安直ではありますが、はてなキーワードを参考にさせていただきます。

人・ものを「××だ」と決めつけること。

人や事物を大まかにカテゴリー分類すること。特に政治的・思想的な分類に対して批判的に言及する際に用いられる。

レッテル貼りとは - はてなキーワード

 すなわち、何かをカテゴライズしてあたかもそうであるかのように批判することを指します。わかりやすい例でいいますと、安保法案を戦争法案とラベリングすることを指します。明らかに中身の一部が捻じ曲げられ、強調されていますよね。このように政治抗争の中ではそのラベリングは散見されます。

 話を戻しますが、堀江さんがレッテル張りをされていたのは事実でしょうし、太平洋戦争で非国民であるとレッテル張りされていた人がいたのも事実でしょう。しかしあくまでそれはレッテル張りの存在を明らかにしただけに過ぎません。そのため、後の一文が非常にまずい。

安保反対派の多くにこのような人達が多いということ。つまり事実誤認に基づくセンセーショナルな言説に飛びつき間違った行動をしてしまうのである。わたしは散々そういうことをやられてきたので切実にそう思う。

 安保反対派の多くは「レッテル張り」をするような低能ぶりをひけらかす人ばかりだと「レッテル張り」をしているのです。そしてまた暗に安保賛成派は「レッテル張り」をしないと「レッテル張り」をしているのです。もちろん、安保反対派の人でくだらない揚げ足取りを行う人は実際いるでしょうし、堀江さんの言説に対して無遠慮な批判を加えた人々がいるのは事実でしょう。しかし、同じように賛成派でも「レッテル張り」をする人はいます。認知バイアスから逃れることは逃れることは出来ず、「レッテル張り」を行う人が消えることはないでしょう。

b ミスリードについて

 今朝も、安保反対派の某教授が防衛産業に関わる三菱重工業グループを糾弾するために三菱鉛筆を買うな的な発言をしてると聞いて驚いた。三菱鉛筆が重工とまったく別のグループということすら知らないミスリードがまかり通る世の中なのだ。

 安保反対派の某教授の発言は唾棄すべきものでしょう。事実誤認で不買運動を引き起こしたのですから。糾弾されうる発言であると思います。まさしくミスリードでしょう。しかし、ここでもまた別の枠組みでミスリードを引き起こしているのです。すなわち「安保反対派はこういう適当なことをいう集団」だということです。某教授が安保反対派の代表であるかのように書かれているのです。確かに某教授は安保反対派に所属する人物ではありますが、彼だけが安保反対派の人物ではありません。某教授=安保反対では決してないのです。

わたしは少しでもロジックがエモーショナルな言説に負けないように努力したいと思う。

 このように分析してみると、堀江さんの言説も多分にミスリードを含んだロジカルではない、エモーションに訴えかけるような言説になっているように思えます。そのうえで、エモーショナルとロジックの二分法の意味を見直す必要があります。

 

2 彼の意図とは

 結局彼の意図はなんなのでしょうか。理想の社会を追求するためには何をすべきなのでしょうか。そんなことは彼にしかわからないでしょう。もし私が彼の意図はこうです!!と言ったらばそれこそ「レッテル張り」であり「ミスリード」を生んでしまうのですから。