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「帰ってきたヒトラー」はただのコメディ映画じゃない。最高の映画だ。

 最近映画館で見た映画の中でダントツに面白かったのが「帰ってきたヒトラー」。CMを見る限り、ヒトラーをコメディタッチで使った映画のよう。しかし、作品の本質はコメディタッチものでもなければ、既存のヒトラー映画とも一線を画した、民主主義とは何かを考える最良の映画なのです。
 
ネタばれを多分に含んだものですので、注意してください。
 
<目次>
1 この映画の本質ーポピュリズムの追体験
2 現代の文脈で再解釈する
 

 

 

1 この映画の本質ーポピュリズムの追体験

 

 この映画は、ヒトラーがメディアを抑え、国民に影響力を行使する部分を描いたものになっています。怒涛の勢いでメディアを支配していくヒトラー。最初はネットメディアのワンコーナーにキワモノ芸人として出演するも、国民の大多数が思う”悩み”を上手にアレンジし、徐々に出てきた人気に火が付き、ネット放送局のすべての番組に出演、テレビメディアに出演と露出度を上げていきます。彼が言う言説は、新聞メディアが言いたくても言えなかったことを代弁しているので、新聞メディアも露骨な批判はしません。過激で面白い彼は、国民に迎合されていくのです。
 
 
 メディアを支配したヒトラーは、暴力を独占するようになり、反対者を処分していきます。国民の声という正当性を得た彼は、国民のためではなく、彼の想像する”国家”のために生きていくようになります。映画はここで終わりですが、その先は第三帝国の形成、すなわち、第三次世界大戦の引き金をひきうるものになるでしょう。
 
 
 しかし、上記の説明はこの映画の魅力の半分も解説していません。この映画の魅力、それは追体験なのですから。
 
 
 序盤から中盤までは、ヒトラーをチャーミングに、まるで無邪気な道化のように描いています。劇場でも笑い声が散見されるほどに。映画としても、ヒトラーを美化する路線で描かれています。撮影の最中に差し込まれていたインタビューシーンは、実際に、主演のオリヴァー・マスッチがドイツに住んでいる人たちにインタビューしたものを用いているため、加工されていない生の声のような、独特な雰囲気が醸し出されているのでしょう。
 
 
 こういった塩梅ですから、視聴者は、特にヒトラーとの関係性の薄い日本人には、”魅力的なコメディ”のように映るのかもしれません。
 
 
 タイムスリップした滑稽な人からコメディアンへと変貌した彼は、映画後半から”ヒトラー”としての、すなわち独裁者としての実態を見え隠れさせます。
 
 
 すなわち、ヒトラーを面白いと感じていた人々が、支持していたヒトラーが本性をむき出しにする瞬間を見ることになるのです。まるで、当時のドイツ国民のように。
 
 
 

2 現代の文脈で再解釈する

 この映画が伝えたい事は、「ヒトラーが現代にいたら面白いんじゃね?」ではなくて「ポピュリズムは危険だよ。でも、ポピュリズムは面白いから実際に経験してみたらわからないよね?」なのです。実際に経験してみないと、その恐ろしさは分からないのです。
 
 
 ポピュリズムはなぜ悪いのでしょうか?人気の政策ばっかりで少数者の意見を聞くことができないから?ヒトラーみたいな独裁者になってしまうから?答えは”モノを考えないで選択することになるから”です。人は、自分が面白いなだとか、好きなものを選択し、少々の欠点には目をつぶるように、むしろいい方向へと転化し評価するようになります。
 
 
 今の民主主義のシステムでは、政策だけで判断することはできません。個別の政策で投票することができないのですから。であるが故に、総合的に面白そうな人を選ぶようになります。別の側面ではケインズが言う美人投票のように、”他の人が選びそうな人”を選ぶようになります。
 
 
 間接民主主義では、決定以前の民主主義的なプロセスは担保されていますが、決定以後は民主主義としての機能不全に陥りがちです。なぜならば、ある信託されているという方便を用いることができるのですから。結果、被選挙人は当選をすることを目標にして行動します。そしてそれはポピュリズムに結びつきやすいのです。
 
 
 現代の世界の文脈を見ると、面白さや熱気で様々な決定がなされているように思われます。Brexitやトランプ旋風、北欧諸国における極右の台頭、オーストリアの極右政権。数を上げればキリがないですが、この「帰ってきたヒトラー」は各諸国の将来を暗示しているように思えます。
 
 
 とはいうものの、彼らは、既存の民主主義の枠内で戦っているので批判はすれでも否定をすることはできません。彼らの存在を否定することはただのイデオロギーです。もし、これらの事象がヒトラーにつながりうる事象ならば、二つだけ状況を変える方法があります。
 
 
 一つは、民主主義の手法それ自体を変えてしまうことです。ニーチェ善悪の彼岸において「狂気は個人にあっては稀有なことである。しかし、集団・党派・民族・時代にあっては通例である。」というように、ポピュリズムの台頭を予期しており、チャーチルは「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」という風に決してポジティブな評価を下しているとは言えません。民主主義の中にも色々な区分や思想が存在し、それ自体を再検討すること自体に意味があります。しかし、為政者は自身の正当性の担保を失することに消極的でしょう。
 
 
 そのため、二つ目の、国民の一人一人が考える人間になることが肝要になってきます。そういった意味で、「帰ってきたヒトラー」はただのコメディ映画ではなく、今に即した映画なのです。
 

 

 

帰ってきたヒトラー 上 (河出文庫 ウ 7-1)

帰ってきたヒトラー 上 (河出文庫 ウ 7-1)

 

 

帰ってきたヒトラー 下 (河出文庫)

帰ってきたヒトラー 下 (河出文庫)

 

 ↑映画に負けず劣らず面白い原作です。

 

善悪の彼岸 (光文社古典新訳文庫)

善悪の彼岸 (光文社古典新訳文庫)

 

 ↑善悪の彼岸の中で一番読みやすいと思われます。