日本で過労死は避けることが出来ない三つの理由

 過労死という言葉が英語でKaroshiとしてOxford English Dictionary Onlineに載ったのは記憶に新しいです。このことが意味するのは、過労死という概念が諸外国になく、日本にのみ存在していたという事です。

 昨今のニュースを沸かせた過労死について、思う事を徒然に書いていきます。過激な書きぶりかもしれません。ですが、少しでも過労死がなくなることを願って書きます。

 

1 なぜ日本で過労死が多いのか?

 なぜ日本では過労死をするひとが多いのでしょうか?諸外国には存在しないということは、日本特有の制度ないし考え方に理由を求めるのが正しいでしょう。

 となってくると際立ってくるのは会社を辞めることが困難な制度設計にあるでしょうか。もちろん、昨今よりも転職市場はにぎわっています。しかし、それでも諸外国よりは雇用の流動性は少ないです。

 このような状況になっているのには大きく分けて三つの理由があるでしょう。

 第一に、新卒一括採用の慣行化。従来はなかったのですが、共通一次試験を導入した時期から「大学に行ってホワイトカラーになる」ことが理想的なパスとなっていきました。それに目を付けた経団連が、採用コストを下げるために行っているのが新卒一括採用です。新卒一括採用は入社という行為を神聖化し、その企業への帰属意識を高めることに役立ちます。と同時に、その会社以外の会社を直接的に知ることが出来なくなり、会社に従属していくということになるでしょう。

 第二に、ジョブ型採用ではなく総合力を鑑みての採用であることが挙げられるでしょう。つまり、個々人のスキルを鑑みての採用ではなく、どれほど会社に帰属することが出来るのか、コミュニケーションスキルやロジカルシンキングのような基本となるスキルをどれほど有しているのかがポイントとなります。会社は個人を会社における資材とみなします。そういった観点から人材という言葉が使われるようになりました。最近では人財と言い換えているようですが、本質は変わりません。であるが故に、会計が得意な人間というよりは、●●会社の課長のような会社内でしか通用しない肩書を背負いながら働くことになります。

 第三に、働く人の価値観です。日本人はビジネスマンというよりもレイバーとしての考え方を強く持っている民族です。簡単な例でいうと、一つの仕事があったときに、クオリティを基準として働くのではなく、時間単位で働くという事です。すなわち、企業に属している時点で生きていけると考え、その企業がやっている仕事自体には興味がないという事です。この価値観は企業に入社する前の学校教育でも明確でしょう。日本の義務教育は基本的に受け身なスタイルであり、目の前にある課題をこなしていれば成績が上昇し、よい高校、よい大学に行けるシステムです。であるが故に、処理能力が向上する一方で、想像力や論理力は養われないシステムです。後者二つの能力がビジネスにおいて重要ですが、それは養われない。だから、会社に属して課題を提供してもらう生き方しか選べないという論理です。

 このような状況ですから流動性は高くはなりません。一度入った会社で勤め上げることが必要になります。高度成長期からバブル崩壊まではうまくいっていました。だって日本の経済が成長していたのですから。日本の経済が成長していたから、ふつうにはたらくだけでお金が稼げる。お金が稼げるから、雇用主は被雇用者への仕事量を減らすことが出来る。いいサイクルが存在していたのです。しかし、ご存じの通り、日本の経済は停滞します。経済が停滞するとなると、企業は人件費を削減することを考えます。

 人件費削減のてっとりばやいのは時間外労働の強制です。みなし残業制をとっていれば、働かせれば働かせるほど会社の業績になるわけですから。このようにしてブラック企業が誕生したのです。

 

2 なぜ死を選ぶのか?

 「自殺するくらいなら会社を辞めればいい」という声が過労死者に対して向けられています。死ぬくらいなら会社を辞めればいい。他の道があるじゃないかと。ですが、死というのは時として、絶対忌避のものではなく、救いの手段のように思えてしまうのです。

 会社を辞めるよりも死を選ぶ人が多いのは3つの理由があります。

 第一に、先述しましたが、死という事の意味が薄れてしまうということがあります。人間は極度に追い詰められていくと、理性的な判断をすることが出来なくなってしまいます。会社寮に住み、何時間も残業させられ、プライベートの休日は会社の同僚との飲み会のような状況でしたら、会社以外のことを考えることの方が難しくなります。この場合、その状況から逃れる手段を考える余裕はなく、死を選んでしまうという事になります。不幸にも、日本は自殺する手法には事欠かない国ですから。一度思いついたら実行することはたやすいのです。

 第二に、精神攻撃でしょう。本人の内面の問題という意味では第一の理由とは変わりませんが、いわゆるブラック企業は、個人の思想にまで介入してきます。上司と部下という非対称な関係を軸に、人間性を否定してきます。「仕事ができないなら死ねば?」のようなセリフは日常茶飯事です。このようなセリフを常に浴びせられていたら死ぬことへのハードルは下がっていくでしょう。

 第三は、見栄です。高給取りや羨望のまなざしを向けられる企業群に在籍するひとが自死を選択するのは、見栄という部分もあります。自分はこの会社に入るのに必死になってきた。だから、この企業でやっていけるはずだという気概が精神と肉体をむしばみ、同時に、転職することを許さないのです。職を変えることが出来ないのであれば、ほかのみちを探せばよいのでは?と人は言うかもしれませんが、その発想すら奪われてしまうのです。そして現状をあきらめてしまうです。

3 ブラック企業について

 ここまでブラック企業という言葉をなんら定義することなく使ってきましたが、私は世間一般がさしているブラック企業とは少し異なった考えを持っています。別に時間外労働が要求されようが、低賃金だろうがぶっちゃけ関係ないです。本質は、自己納得性との乖離にあるのです。もう少しかみ砕いて説明します。例えば、自分のやりたい事がテレビディレクターだとしましょう。このやりたい事と仕事が一致すれば、ひとはブラック企業だとは感じないのです。自己実現の場として昇華することが出来るのです。

 逆に高給取りな業界、例えば、広告業界や総合商社、コンサルといったものですが、自分のやりたい事と乖離した時、それはブラック企業と名付けられます。つまり、ブラック企業は客観概念ではなく、主観概念に過ぎないのです。世間的に言われているブラック企業ですが、それは違法企業です。労働基準法に違反しているのですから。

 このような問題をはらんでいるのがブラック企業問題ですが、拍車をかけているのがやはり、仕事を経験することなしに仕事を選び、40年働かなきゃいけないという情報の非対称性でしょうか。この部分を解消しなければならないです。

 

 雇用問題を考える時、世間一般は労働時間だとか賃金をベースにして様々なものを見ます。ですが、本質的には、自己実現性との関係で見なければ、雇用問題、及び過労死の問題を真正面から捉えることは出来ないのです。

 

 

 

ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (文春新書)

ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (文春新書)